「セミナー」についての意見交換

※時系列は上が新しいメールです。


[2018年9月3日の巻口氏のメール]

多賀先生と新建福岡の皆さまへ

 

 

■例えが悪くて、逆に混乱させたかもしれませんが、

率直に意見を述べられた多賀先生に、大坪さん、新谷先生が同じく意見を返されて

今まさに混じりあって、深い部分にあった栄養分が表に出てきているのかなと思いました。

どんな栄養なのかは、まだはっきりと解らないので

これから、じっくり話を交わしながら分析? 見えてくればいいかなと思いました。

 

■全体を貫くテーマに関しては

私も最初は、「セミナーのテーマ」があればと思いましたが、

テーマに添って進めるより、今回の場合は皆の考えをすべて出し合った上で、

テーマが見えてくるのかなと思い、今に至っています。

なので次回以降で、全体テーマも決めていければと思っています。

(先生の想いとは、逆の順番かもしれませんが、逆もあっていいのかもと思っています。)

 

■新建福岡について

私が新建に入会したのは、2016年6月の第1回「仕事を語る会」です。

(新建NOWをHPから見直して、年月を確認しました)

いつもの癖で新しい団体と始まりは、懇親会まで覗くことにしていますが

その雰囲気の良さのお陰で、今まで続いています。

(それまでに知っていた別の団体の懇親会の雰囲気とは全く別でしたので・・・)

 

飲み会だけだと、誤解されてもいけないので真面目な紹介もしておくと、

その後の沖縄・福島セミナー、熊本地震対応、地域に根ざす色々な保存活動、

福岡県北部豪雨対応などなど、その時々に起きている事柄に上辺だけでなく

「出来る限り何か」と、メンバーの方々が参加されて結果も報告してくださる。

その報告がタイムリーで、その時はいけなくても次回はなんとかという気持ちに

させていただける。そんな状況がその時だけでなく、当たり前のように普通に

イベントの度毎に行われていて、とても居心地が良い。

そういう環境に身を置くと、新しい会員であっても自由に発言し、役割も

皆で分担して、依頼すると2つ返事で了解され廻っていく組織になっている。

 

こんな組織は珍しい。会社でも別の団体でも、大体面倒な事には関わりたくなく

役割分担をしようとしても、PTAの役員決めのような重い空気が漂うのが一般的にもかかわらずです。

なぜ、そのように出来ているのかは、後から入会した私には分かりませんが、

新建福岡支部も、夜須の研究集会で幹事をするまでは、今の様ではなかったとの事。

 

では夜須以降にどんなことが起こったのか? それをこれからもっと知りたい。

そうしたら、全国の他の支部での悩み解決のヒントに繋がるかもしれないし、

何よりも自分たちを自覚できる。多賀先生の問題提起には、まだ自覚できていないので

上手に答えられなかったけれど、これこそ過去から未来への伝承には欠かせない事かと。

 

なので、次回以降 大坪さん、新谷先生も書かれてある通りで、みんなで福岡支部を分析をしましょう。

もの凄く私は興味があります。

 

巻口義人


[2018年9月2日の新谷氏のメール]

多賀先生、新建幹事のみなさんへ

 

新谷です。来年の「建築とまちづくりセミナーin福岡」の開催準備で

ミーティングが続けられていますが、前回の会議で多賀先生より

「建築とまちづくりセミナーin福岡」の開催目的や討議の進め方について

根本から意見が出され、充分な討議が出来ないまま終了し、その後、

多賀先生より文書による意見がメールで出されました。大坪さんより

多賀先生への返信も出され、討議が深まってきていますので、私も

思っていることを書いて討議に参加します。添付します。

 

多賀先生から出された疑問、意見は以下のようにまとめられると理解しました。

 

1.そもそもセミナーとは双方向性があるという意味で互いに学習し、関心を持つグループの勉強をする運動の一形態と思い、時代や社会の今日的な問題をグループ学習する位に感じていたが、どうも自分の理解しているセミナーとは違うようだ。

 

2.最初に参加者の「ブレインストーミング」を全体の意向調査をした。それを少しずつ集約して纏められてきた。集約の仕方は、民主的に多数意見に移行するようだ。自分は何かテーマを決めてその題目を幾つかのサブテーマに分けて、議論して最終的には、主要課題に関してどのように理解が深まったのかを総括すると理解していた。

 

3.処が、議論の方法は逆であった。先ず参加者の問題意識を求め、キーワードを提示して集約する。

その時の視点は問題だが、社会的に重要性がある。地域の問題である。組織体の運営や在り方について考える。建築や街造りの卑近な問題について考える、などなど。

地域性でも目下の社会的な関心事でもない。漠然と問題も軽重を考えてはいるが、明確にはしていない。ある地域でセミナーを開く主旨が無くても良い、多数意見でやることに意義があると考えているとも取れる。

 

4.結局、開設される講座数に合わせて外部解説者を選考し、各講座は基本的な話す内容の主題となるキーフレーズ程度が明示されて、講演を依頼し、折衝担当者が具体的なタイトルを決めるという。講座では話題提供者が講演をして終わりに質疑応答をする。講座が四つか五つかは議論があった。

 

5.従って、セミナーの主要テーマの議論はなく、個別の講座の話者から内容を聴き取り、それに合わせて講座の題目も確定し、その後、セミナー全体の主要課題が決まるという筋書きみたいである。そこで、福岡で行うセミナーの主旨、主題が明確でないまま、個々の講座の話内容も選択された話者によって内容は明確には分からない。若干の提唱者には既存の有名人であり何度も話を聴いたことがある。それを他支部の人々にも聴いてほしいというのが本音らしい。これが建まちの福岡システムとでもいうようだ。これが新建方式のセミナーの企画・計画・実行の方法であり、この方法はこれまでも行われてきた新建方式であるのか。

 

6.北海道のセミナーに参加したが、それと違うのは、新建における福岡支部の運営活動の卓抜性をセミナーに取り込み、講座の一部に位置付けたということである。その具体的な内容はこれからの議論で決めるという。この組織の管理運営に関する問題をセミナーに加えることは、議論の途中で参加者の合意のもとに賛同を得たものであるが、そこが、問題を複雑にしている。新建福岡支部の管理運営とセミナーの課題とはどう関連付けるのか。そこが、迷走する原因である。セミナーの本題とは直接関連付けないのか。では、新建福岡支部のやり方の何を語り何処を主張し、他地域の新建メンバーに宣伝するのか。それは今後議論するというのが現状の意見であった。

 

私の意見

 

1.セミナーと言う名称にはなってますが、もともとは新建学校と呼ばれて、新建会員のレベルアップ、特に全国の新しい会員とベテランの会員が膝を突き合わせて、学び合う趣旨のもので、学校的な要素が大きいと理解してました。そこで講義調のものにならざるを得ないとも思ってました。もちろん、時間的に許せば、相互討論ができるのが良いと思います。交流会の時にもやれるのではと思っています。

 

2.私はメインテーマを決めて、それに基づいてサブテーマを決めるとは考えてませんでした。4つか5つの講座を新建の理念、今の社会経済情勢、社会的関心に照らして 、特に福岡で開くので、福岡に相応しい特徴のあるテーマを一つ位は見つけて、みなさんの関心のあるテーマ(課題)をそれぞれ独立に決めても良い(お互いに関連はあるでしょうが)と考えていました。そこで、議論の方法が逆であったとは思っていませんでした。確かに全体のキーワードを書くようになってましたが、講座が決まった後に整合性のあるネーミングをつければ良いと思ってました。

 

2.講座のタイトルや内容を決めて、それに相応しい講師の方を選定するというのが本当でしょうが、

先生の言われるように、いくつか有名な講師の名前が先に出ていたというのも事実だと思いますが、ただ有名であれば良いというものではなく、新建の理念に沿った有益なお話が聴ける講師であり、私達の関心のあるテーマについて話してくださるという確信があるのは前提であると思ってます。

また、具体的にはっきりした講義タイトルを決めるにあたっては、講師との話し合いも必要であるとも思っています。いくつかは講座の中身が先に決まって、その後に講師の名前が出た場合もあったと思ってます。

 

3.最後に新建活動の優れたところを、他支部のみなさんにも広げるための講座を設定した件です。

  私の理解では新建50年の歴史を経て、今の新建が抱えている、会員の高齢化と減少化の中で、

新建活動の継続化、継承化が大きな課題になっており、新建活動が始まった頃に遡って、古い会員

の遺言的な話を聴き、時代を超えての新建活動の重要性を理解するとともに、何故、福岡のように

若い人を巻き込んで、会員を増やし、溌剌と元気な活動ができるのかという先駆性をしっかり分析

して、これを全国の教訓にすることは今、最も求められていることと考え、このような話ができる

講座があっても良いと思っています。福岡開催の時がチャンスだと思います。福岡の活動の分析は

これまでいろいろ述べられてはいますが、この機会に、支部としても、時間を取って、しっかり分

析することは必要だと思います。 


[2018年8月31日の大坪氏のメール]

多賀先生

明快なご意見の表明、ありがとうございます。

私たちも改めて考えるべき点の多いところに気付かされたような次第です。

 

少し私なりの理解をお聞きいただきたいと思い、ここへ投稿します。

 

まず最初にこれは是非ご確認いただきたいことがございます。

それは、先日のミーティングにおいて、多賀先生のご指摘やお考えの表明を「間違っている」と発言したものは誰一人としていなかったことです。

むしろ多くの出席者は「セミナー」という言葉の意味に忠実であろうとされる先生の姿勢に、驚きと反省と困惑の入り混じったような感覚であったと思います。このご意見に対して否定できるような正確な理解を私たちは持ち合わせていませんし、そのことに改めて気づかされたぐらいです。

 

正直なところ、私のセミナーの理解は講師の話を聴講するような一方向的なものでした。それは、巷に多い○○セミナーと同じようなものです。ことほど左様にこれまでの「建まちセミナー」の多くがこのスタイルであったと思います。そして、片井さん、鹿瀬島さんを始め、ほとんどの会員が「建まちセミナー主催」は未経験です。セミナーの在り様自体に疑問を抱くことはありませんでした。

 

全国の会員がひとところに集い、意見交換、討論をするのであれば、最初に「テーマ」を設定するのは当然のことです。そのテーマこそが「今回の」セミナーの開催意義であるからです。

しかしながら、これまで行われてきた形は、いくつかの別々の講座を設け、それを参加者が「受講する」という形でした。それはあくまでもアラカルト的な講座構成です。

時によっては全国共通の関心事という話題で構成し、また2015福島セミナーのように原発事故からの復興という縦断テーマが敷かれる場合もありました。福島は特別としても、その全体構成は各々の講座単位であり、それらが必ずしもリンクするものではないようです。私も、初めて建まちセミナーの主催支部の一員として関わりますので、「そのようなもの」という理解でおりました。

 

ただ、何が「今」「この地福岡で」考え学ぶべきことかを皆で考えること、そのミニテーマのピックアップこそが今回福岡で開催するにふさわしいプログラム構成につながるのではないかと考えます。

場合によっては意外に見落としがちだが重要なテーマ、気が付かない視点、そんなものがあるかもしれない。だからブレストで始めるのが良かろうと思いました。ブレストは多数決へつなげる手段では決してありません。何度でも繰り返して探り出し掘り起こせばよい。すぐに結論に結び付けずともよい。貯めておいて時おり眺め返せばよい、と考えています。

 

・・・・時間切れで、中途失礼しますが、最後に物事の決定手法について「福岡スタイル」などというものもありません。今も巻口さんのリードのもと、より良い合意形成の在り方を模索しながら進めているところです。

(8年前の夜須研究集会以降、福岡がやってきたこと、それが活性化につながったらしいこと、については何かがありそうですので、これから分析総合して全国会員へご披露できれば良いな、と思いますが)

 

大坪克也


[2018年8月31日の多賀先生のメール]   ※セミナーに関する論議の発端

そもそもセミナーとは双方向性があるという意味で互いに学習し関心を持つグループの勉強をする運動の一形態と思います。

今、新建で新建福岡支部のスタイルが関心が持たれて次年度にセミナーでその内容を紹介すると予定です。

 

さて、その「新建福岡システムとは、何ぞや」を簡潔には説明出来ない様です。

その一端が、鋭意議論されてきた来年度のセミナーの内容に関する議論です。

 

疑問に思ったことに関してはその都度尋ねました。しかし、疑問は深まるばかりでした。要するにセミナーは何のために開催するのか。本質が明確でない。

そこで議論に参加しての印象の疑問と私なりの考え方を認めました。唯、話の討議の中で私の提示した問題に対して間違って居るという意見があり、その点に関しては意の沿わぬ意見として若干の私見を吐露して間違いや考え方の齟齬があればと思い現状の理解と私見を表伯します。

一年目の初年兵の理解に解釈の違いがあれば率直に間違いを正していただくように新建福岡支部の皆さんにお願いします。

 

ガバナンスとオウセンティシティー    2018.8.27

 

(組織の統治と正当性)今、日本社会は成熟時期に入り組織運営に多くの問題が顕在化して未解決のまま動いている。政治の世界が、説明責任を果たしていない。

 

新建にメンバーとして加入して幾ばくも無い状況で意見を言うのは恥ずかしくて控えたい。

 

2019年度の「新建セミナー」が意欲的に真剣に討議されている状況をみて驚異を持って見守って来た。そこで単純な質問を幾つかしたが、中々当を得た答えは得られなかった。

その一つは、主題を何にして開催するのか。開催目的・主旨は一体何か。

セミナーというと、時代や社会の今日的な問題をグループ学習する位に感じていたが。

開催主体は、新建メンバーであり設定された課題を相互学習つまり今の言葉で言えば、「アクティブラーニング」をして我々自身の建築活動に活用する勉強会位に考えていた。

二番目は、セミナーの運営内容の話である。セミナー参加者の主体は新建メンバーである。関連の組織や一般市民に向けても開放する。しかし、あくまでも主体は新建のメンバーの相互理解である。

各セミナーの企画は、サブテーマに従ってそのテーマに相応しい専門家を呼んで問題提起を頂き、我々の問題や質問・疑問にも答えて頂く相互対話が出来る運営を志す。

更に、検討会議での意見やコメントの集約の方法である。

 

これはセミナーに関する素朴に感じた意見や疑問であって異議を申し立てているわけではない。疑問を持てば質問をするのは当たり前である。

経験の深い会員が率直に答えて頂ければそれで疑問は解消する。

しかし、疑問や提起した質問に納得がいかなければ疑問が更に深まる。

 

唯この際、疑問を呈したのは、あくまでも理解できない部分に対して説明を聞いて理解を深める積りだった。しかし、疑問の提示が異議と捉えられその意見は間違っていると言われれば、違った意見の議論になる。その積りで質問や議論・コメントしているわけではない。

 

しかし、全てが明確に説明されないまま、曖昧な状況で議論が進み、段々と疑問や質問がし辛くなっている。発言が間違っていると言われれば、意見やコメントのしようがない。

 

現状を見ていると、最初に参加者の「ブレインストーミング」を全体の意向調査をした。

それを少しずつ集約して纏められてきた。

集約の仕方は、民主的に多数意見に移行するようだ。

そこが問題である、セミナーの主題が明確でない。

地域性でも目下の社会的な関心事でもない。漠然と問題も軽重を考えてはいるが、明確にはしていない。

ある地域でセミナーを開く主旨が無くても良い、多数意見でやることに意義があると言えばそれもあるだろう。

結局、開設される講座数に合わせてスピーカーを選定し、盛り込んでほしいキーワードを提示して講演を依頼するということになるようだ。

講座では話題提供者が講演をして終わりに質疑応答をする。

そのための企画と準備が検討会で話されてきた。

付帯的に見学会や懇親会も開催される。

今年の札幌に参加して概要は理解している。

 

違うのは、新建における福岡支部の運営活動の卓抜性があった。

それをセミナーに取り込み講座の一部に位置付けたという講座が、加えられた。

その具体的な内容はこれからの議論で決めるという。

各講座も基本的な話す内容の主題となるキーフレーズ程度が明示されて、後は直接講演のスピーカーとの交渉次第で話は決まる。

講座が四つか五つかは議論があった。

既往の経験者は「従来通りにやる」というのが現状だろうが、新しい参加者には従来が分からないし「セミナー」の概念の理解が違う。それはそれでいいだろう。

現在のところ、セミナーの主題となるキーワードが決まっていない。

各講座のネーミングも先ずスピーカーが決まりその人の専門の話をして貰う。それは担当者とスピーカーとの対応で決まり、セミナーのメインテーマとは直接は関係が無いように見える。

 

以上が私の現状認識であって、提案をしている訳ではない。関連しての疑問や質問をして理解の内容を確認したいまでである。

理解や解釈が間違っている部分があればそれは私の理解不足であり指摘いただきたい。しかし、私の考え方は間違っていると言われれば、本来ならば議論になるだろう。その間違いを具体的に指摘して頂き議論になる。

 

私は、此処で議論をしたくない。既存方針とは違った意見でも協力して事業を勧めなければならない。ただ問題なのは、それが同調圧力になっては、古い日本社会の復活にも繋がる気がする。

旧軍隊の階級制度の元に黙って若い身を犠牲にさせた特攻隊の話は今もって消えてはいない。

日を改めて又考えて見た。

 

セミナーとは何か。

何かテーマを決めてその題目を幾つかのサブテーマに分けて、議論して最終的には、主要課題に関してどのように理解が深まったのかを総括すると理解していた。

 

処が、議論の方法は逆であった。

先ず参加者の問題意識を求めキーワードを提示して集約する。

個別のキーワードを集約する。その時の視点は問題だが、社会的に重要性がある。地域の問題である。組織体の運営や在り方について考える。建築や街造りの卑近な問題について考える。などなど・・・

 

そこで、セミナーの主題となる項目と、5つの関連の項目に関する集約を求めた。

サブテーマの選考に当たっては項目を四つか五つかという議論があった。

 

組織の管理運営に関する問題をセミナーに加えることは、議論の途中で参加者の合意のもとに賛同を得た。

 

そこが、問題を複雑にしている。新建福岡支部の管理運営とセミナーの課題とはどう関連付けるのか。

そこが、迷走する原因である。セミナーの本題とは直接関連付けないのか。

では、新建福岡支部のやり方の何を語り何処を主張し、他地域の新建メンバーに宣伝するのか。それは今後議論するというのが現状の意見であった。

 

結局、残りの講座は先ずサブテーマに関する外部解説者を選考し、改めて折衝担当者が具体的な話題を決めるという。

 

要するに、セミナーの主要テーマは不在で個々の講座の話内容も選択された話者によって内容は明確には分からない。若干の提唱者には既存の有名人であり何度も話を聴いたことがある。それを他支部の人々にも聴いてほしいというのが本音らしい。

従って、セミナーの主要テーマの議論はなく、個別の講座の話者から内容を聴き取りそれに合わせて講座の題目も確定し、その後、セミナー全体の主要課題が決まるという筋書きみたいである。これが建まちの福岡システムとでもいうようだ。

この理解は間違っているだろうか。

これが新建方式のセミナーの企画・計画・実行の方法であり、この方法はこれまでも行われてきた新建方式である。この解釈は間違っているのか。

具体的に指摘されれば理解が深まるだろう。

組織での物事と決定プロセスの実践例であり、これが新建福岡方式の例であるのか。

 

来年のセミナーの開催時にその趣旨を最初に説明するときに、このような過程が福岡で内容を議論をした結果ですと、解説し挨拶をすることになる。

 

以上が札幌でのセミナーに参加した結果と、今まで福岡支部のセンナ―企画検討グループでの状況だと思っている。私の個人的な理解の程度と現状の解釈である。

間違いを糺すに躊躇する事勿れ。